『ヒメアノ〜ル』森田の嘘は優しさなんだよ?

ヒメアノ〜ル

感想・レビュー

[評価]


■脚本:8
■演出:9
■キャスンティング:9
■この映画えらい度:6
■好き度:5
■期待値とのギャップ:9
■総合:9

79

/100

作品情報

2016/日本 上映時間99分 R15+

スタッフ
監督:吉田恵輔
原作:古谷実
脚本:吉田恵輔

キャスト
森田剛:森田正一
濱田岳:岡田進
佐津川愛美:阿部ユカ
ムロツヨシ:安藤勇次

[あらすじ]
「行け!稲中卓球部」「ヒミズ」の古谷実による同名コミックを、「V6」の森田剛主演で実写映画化。森田が、次々と殺人を重ねていく主人公の快楽殺人犯・森田正一役を演じ、「純喫茶磯辺」「銀の匙 Silver Spoon」などを手がけた吉田恵輔監督がメガホンをとった。平凡な毎日に焦りを感じながら、ビルの清掃のパートタイマーとして働いている岡田は、同僚の安藤から思いを寄せるカフェの店員ユカとの恋のキューピッド役を頼まれる。ユカが働くカフェで、高校時代に過酷ないじめに遭っていた同級生の森田正一と再会する岡田だったが、ユカから彼女が森田にストーキングをされている事実を知らされる。岡田役を濱田岳、ユカ役を佐津川愛美、安藤役をムロツヨシがそれぞれ演じる。

こちらが予告編↓

-コメント-


森田剛、かつてのテレビ番組「学校へ行こう!」でよく見ていたV6だったが、最近はめっきり目にしていない気がしていた。だからかこの映画「ヒメアノ〜ル」もタイトルしか認知していなかった。そんな中、Twitterを中心に絶賛の声を多く聞いた。さらには「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」内でのムービウォッチメンでも絶賛。これは観に行かねばなあ、と思っていたちょうどその頃、「しゃべくり007」にて森田剛の「メンバーの連絡先も知らない」という話を聞いて、「もしやハマリ役なのか…いや、むしろ森田演じる森田は本人なのか…?」とあるはずもない妄想が膨らみ、俄然、興味が湧いてきた。そんなわけで、まんまとメディアに操作され劇場に足を運ぶことになった観るはずもなかった本作は、「アイアムアヒーロー」「ちはやふる」に続く傑作邦画作品であった。もうここまでくると、2016年は邦画豊作の年というしかないだろう。未だ見ていない「貞子VS伽倻子」も確実に傑作だろうし、プロット自体が偉い!こうして図らずも(?)邦画が変わっていく中心地に陣取ることになった「ヒメアノ〜ル」、私たち一人一人に宿る狂気、またそれを生んでしまったかもしれない過去や現在の行動を、心の奥底から掘りだし、突きつけ、痛めつける。「この狂気、自分には関係ない。」と思っている人こそドキッとさせられるかもしれない。だからこそ、ぜひたくさんの方に見ていただきたい傑作だ。

-果たして狂気とは…?-


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冒頭、映画が始まってみるとそのゆるやかさに度肝を抜かれる。しかもそれが異様に長い…。実際、約1時間程度は「ラブコメ映画」といった感じで、狂気どころか、森田自身がほとんどでてこない。最初こそ「なんじゃ…?」と困惑するも、その中にある「コメディ要素」の軽快な笑いに流され忘れてゆく。なんといっても、濱田岳の演技が最高。絶妙なモテない感に、あの高くか細い声で不安げに人生を語る。また、ユカちゃんとの掛け合いが可愛らしく微笑ましい。「私の好きな人って…岡田さんです…」「ぇ。え、え。俺ぇ?」とか、もんじゃ屋さんでのユカちゃんのセクシーな発言を受けての明らかな動揺など、本当に細かい演技がすごく活きている。気にしなければ取り上げることもないほど自然なのに万人がクスクスっと笑える演技ができるのは濱田岳の素晴らしいところだろう。思い返してみれば、彼を始めて認知したのは「プロポーズ大作戦」だったかもしれない。あの時から、ちょっと間の抜けたような挙動が大好きだった。今作でもそんな可愛らしい彼が映画の序盤を引っ張ってゆく。

しかし、この前半も人間の残酷さが散りばめられていたな、と今になってみれば感じられる。一見ただのラブコメに見えていても、岡田しかり、安藤先輩しかりそれぞれが抱えるに時々ゾクッとする。それがある種の人間らしさとも言えるから、この映画は面白い。例えば、安藤先輩は単純にストーカーだ。声もかけたことないカフェの女の子を「運命の人だ」と言い張り、付きまとう。うまくいかないと悟ると今度は引きこもり、心配してきてくれた岡田に対して「もし裏切ったらチェーンソーでバラバラにして、トイレに流しちゃうからね」と言い放つ。一瞬いつもの冗談かな、と思うのだが、次のカットで部屋の隅のチェーンソーが映される。彼は至って真剣で、それが人間で。考えて考えて、あえてチェーンソーを家に置いておいたんじゃない、実際にその未来を想像していることが恐ろしいのだ。
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一言に狂気と言っても、その形はいろいろある。その全てを描いたんではないかな、と思わせる鑑賞後の無情な満足感には圧巻。劇場を後に家へ帰るその道中、やけに周りを気にしてしまったり多少の人間不信感を残すという全くすっきりしない映画だった。描く対象が殺人鬼だけにとどまらないその多様性、「人間性」というものにわたる広いテーマは誰にでも響く。だからこそ「ラブコメ」だったり、「サスペンス」だったり、いろいろな顔があるわけだ。1人の普通はその他にとっての狂気。楽しく恋をしていても、無難に学生生活を過ごしていても、見る人にとってそれは心をエグられる裏切りだったり、異常行動だったりするのだ。鑑賞後に「自分は正常か?」「誰かを異常にしてしまったことはないか?」と大変不安になるこの映画は、「自分は平凡」と周りへの影響に鈍感になっている人にこそ見て欲しい。自分を守る嘘が、誰かを壊してしまったかもしれない可能性が自分の今後を少し変えるだろうから。

-タイトルインが最高すぎる…-


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やっぱり特筆すべきは「タイトル・オープニングクレジット」についてだろう。先ほども述べたが、1時間ほどは岡田とユカちゃん、そして安藤先輩の三角関係と言おうか、恋模様がひたすら映される。そしてすっかりこの映画の本質を忘れてしまったかのような感じを楽しんでいるそんな時、映画の奥の方から微かに不穏な音楽が流れだし、満を持して森田が現れる。そうして1時間が経過したこの段階でまさかのタイトルイン。。。ここでオープニングクレジットが打たれ、初めて「ヒメアノール」が始まったと知った時、きつねにつままれたような気持ちにさせられるのだった。こんな映画は見たことがない。99分のうち60分が前振りだったなんて、そんなドッキリは今までなかった。「面白い映画」であるひとつの要素にどれだけ観客を驚かせることができるか、予想を裏切られるか。があると思う。それをまさかタイトルという材料でやられるとは思いもしなかった。監督の手の中で踊らされた感じが憎たらしく、同時に嬉しかった。邦画作品でこれほど「監督」という存在を意識したこともなかったからだ。この作品の雰囲気がガラッと変わるその瞬間、「ヒメアノ〜ル」の良さに引き込まれる。その瞬間、森田始動の合図で奇しくも観客は興奮するのだ。彼がこれから行うことをわかっていながら。しびれる。。。

-まとめ-


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そんな森田に岡田が初めて会うのがカフェでの事だった。そして森田は平然と嘘をつく。顔色一つ変えず平然と偽る森田というのは何度か出てくるのだが、その異様さがひしひし伝わる感じがものすごく恐ろしい。自分の体裁を気にしているのではない。むしろ、なにも気にしていないのだ。「面倒なことを避ける」ただ、それだけのため。むしろ森田にとって嘘は優しさでさえあるかのようだ。そいつが干渉してこなければ「殺さずにいてあげる」のだから。よって、その境界線を認識できない鈍感な奴は股間を銃で撃たれることになる…

しかし嘘で言えば岡田も堂々と嘘をつく。これは本人次第で絶対にバレないことで、彼自身の体裁を保つための嘘だ。森田のものとは根本的に違う。一見、森田のほうが異様である。挙動も、言動の一貫性のなさも、それらは大いに目につくものでだからこそ、嘘だと相手に分かってしまう。すなわちそれは嘘の本質をなしていない。相手にバレるようにつく嘘はすでに嘘ではない。「これ以上突っ込むな」という予防線である。一方岡田の嘘は相手を貶めても、自分が優位に立てる嘘だ。その嘘はバレることなく周りの人間にも浸透していく、誰かが損をするものだ。

なにをもって普通とするのか、それは大多数かどうかという事だろう。森田の人間性は異常で、実際に殺人にまで至ったわけだが、一方の普通であるとされる人間の闇も見逃せたものじゃない。さらにいえば、その大多数が強要する普通が、森田を異常にしとも言えるのだ。森田のなにが普通じゃなかったのか。初めに弾かれる要因となったのはなぜか。「趣味もないし、彼女もいないし、なにを生き甲斐に生活すればいいかわかんないんすよ」と岡田。それに対し「僕は恋をしている」と先輩安藤が。「完璧に満足しているは人なんかいないんだ。みんな不安や恐怖を抱えて、それを糧に生きているんだ」と持論を展開するも、のちに森田はこの意見をバサッと切り捨てる。「底辺の人間はいつまでたっても底辺なんだ」「幸せになれるような奴はそういう努力をしてるんだ。俺たちはそれすらも才能がないからこんなところでくすぶってんじゃないの?」と、岡田よりもはるかに現実を見ているようだった。初めの友達の岡田が生きていけて、森田が生きていけない世界とはなんなのか。誰だって自分が可愛いのだ。「先輩が怖い。チェーンソーで殺されるのはちょっと…」とユカちゃんの告白を無下にする岡田。しかし君が好きだし、こうなるのは「死ぬほど悔しい」と言い放つ。”死ぬほど”なら”死ぬ覚悟”でお付き合いをすればいい。それなのに自分の体裁を気にして言葉を選び偽る。森田以外の人が放つ言葉ひとつひとつが軽く聞こえてしまう。その後めでたく付き合い出す二人を見ても、「君とは付き合えない」という意志の強さなんて微塵も見えない。一方の森田には一貫した意志があり、貫き通す。我々の持つ普通のイメージとはなんとも軟弱な人間性ではなかろうか。

もっと言ってしまえば、この映画にまともな人間はいただろうか。正常と異常は常に表裏一体。きっかけ次第で物事は大きく変わってゆく。先輩チェーンソーでバラバラに…」の話も、ある時にはそれはユーモアとして生きるが、またときには明らかな脅迫になる。その境目はほんのわずか。表情や、状況次第で全く別の意味にさえなってくるのだ。ラストで明かされる、森田と岡田の関係性。学生時代、必ずいた「最初に話した”友達”」その友達はずっと仲が良かっただろうか。もしかすると、”孤独”を避けるための妥協点だったのでは?初めての友達、とても大切な存在であっていいはずなのに、なぜか疎遠になっていく。そんなあるあるさえも、人をおかしくしてしまう要因になり得る可能性があるという忠告。私も、あなたも誰かから見れば異常なのかもしれない。。。

なんだか今回のレビューは最後がぐちゃぐちゃになってしまったが、どうかご勘弁を。
では。

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