日本語字幕付き予告編あり!Kubo and the Two Strings (クボ・アンド・ザ・トゥー・ストリングス)

Kubo and the two strings

感想・レビュー

[評価]


■脚本:9
■演出:10
■キャスンティング:8
■この映画えらい度:10
■好き度:8
■期待値とのギャップ:7
■総合:8

86

/100

作品情報

原題:Kubo and the two strings(邦題未定)
2016/アメリカ 上映時間101分

スタッフ
監督:トラビス・ナイト
製作:トラビス・ナイトアリアンヌ・サトナー
脚本:マーク・ハイムズクリス・バトラー

キャスト(声の出演)
シャーリーズ・セロン
アート・パーキンソン
レイフ・ファインズ
ルーニー・マーラ
ジョージ・タケイ
マシュー・マコノヒー

[あらすじ]
サムライのいた時代の日本を舞台に、魔力を持つクボの冒険の旅が描かれる。クボと母はある村はずれの岩陰で密かに暮らしていた。三味線を奏でることで宿る魔法を使い毎日村に降りてサムライ、ハンゾウの物語を語り日銭を稼いでいたクボは、彼の片目と父を奪った祖父とその娘たちから隠れるために、陽が落ちる前には帰ってくるよう強く母から忠告を受けていた。しかし、ついにその日がやってくる。お盆の夜、帰りが遅くなったクボの元に追っ手がやってくるのだった。母の魔法で救われたクボは父の兜を探すため、目の前に現れた猿とカブトムシとともに旅に出るのだった。こうして始まったクボの物語はいったいどんな終わりを迎えるのか?
こちらが予告編↓

字幕付きの予告がなかったので、軽くつけてみました。
↓(以下二つ)

日本の詳細な表現に感激


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海外の映画でよく残念な気持ちになるのが、徹底されない日本描写である。日本人役に中国人が起用されたり、中国と日本がごちゃごちゃになった街並みだったり、そういうものが日本人にとって「コレジャナイ」を感じさせ、多少なりともがっかりさせられるのだ。まあ、それはある意味しょうがないのかもしれないが…
そういう意味でこの映画は完璧だったと言わざるを得ない。kuboは日本の文化に感化されて制作された作品であるがために徹底された調査、研究が行われた。それは、物語の根幹をなす部分だけではなく、背景や国民性なんかの内面的な部分にまで至っていた。だからこそ、なんの違和感もなく鑑賞ができすごく感心した。

例えば、kuboをはじめとした村人の衣装。着物一つ取っても、色合いやつぎはぎをしたボロギの感じまでを表現。決して抜かりのないその技術に心底感心するのとともに、日本人としては感謝の意さえ感じたのだ。こうして海外の目線で描かれる詳細な日本の描写は新鮮で、普段は目につかないところに注目させられた。例えば、神社仏閣がそのひとつ。日本中どこで暮らしていても近くに神社なり、お寺なりがあるものだ。その存在は特に気にとめることもないほど当たり前であるのだが、この映画を見るとその神秘的な存在に魅せられた。

また、日本人らしい心情こそがこの映画の根幹を成しているのも面白い。我々は思い出とか、同情なんかを大切にする。死者への追悼も何かと凝っていてどの国よりも重んじているのではないだろうか。わびさびといった日本独自の美意識も随所に散りばめられ、雪景色や森林も実に日本らしかった。ネタバレになるのであまり多くは語れないが、物語ラストもアメリカ的というよりは日本的。まあ、これに関してはこじつけのような部分はあるが…

この映画に影響を与えた日本のいろいろ


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-歌川国芳のドクロ-

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上の写真は歌川国芳の「相馬の古内裏」(1845年ごろ)。

本図は、山東京伝による読本『忠義伝』に取材した作品で、源頼信の家老大宅光国と平将門の遺児で妖術を操る滝夜叉姫との対決の場面である。活劇を見るような動きのあるシーンの描写と大胆な構図に国芳らしさのよく表れた人気の作品である。(以上、千葉美術館HPより)

この写真をあげた理由、映画を見た方はよくわかると思うのだが、中盤巨大なドクロが出てくる。それはまさにこの絵に描かれているドクロそのものであるかのようだ。他にも、『アルゴ探検隊の大冒険』(Jason and the Argonauts)のドクロ兵隊(こちらもコマドリ作品)も影響を与えたようだが、巨大ドクロという異質な存在は、コメンタリーで監督も言及している通りまさにこの映画に影響を与えた日本文化の一つである。
2100.0400.still.laika.0004_R Monkey (voiced by Academy Award winner Charlize Theron) finds herself struggling against the grip of the Giant Skeleton to protect Kubo in animation studio LAIKA’s epic action-adventure KUBO AND THE TWO STRINGS, a Focus Features release. Credit: Laika Studios/Focus Features

-姉妹と能-

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クボを追う姉妹、このビジュアルにはすごく嫌な、恐怖心を掻き立てられるものがある。だからこそワクワクしたし、この作品を面白いだろうと確信した。しかし、その根源が日本にあったというのは全く思ってもみなかったことだ。彼女たちのつけるマスクのベースはにあるという。今の若者は(自分を含めて)そういった伝統的な芸能に触れる機会はあまりないが、中学校や、高校で一度は目にしたことがあるのではないだろうか。これも、コメンタリーで知ったのだが、日本の能のストーリーの多くは超常現象的なものが題材にされることが多いようだ。そういう部分と彼女たちの魔力との間に共通性があるという凝った演出もまた唸らされる。それに一瞬で気づけない自分が日本人として情けない!と悲嘆。やはり、学のある映画評論家に深く考察してもらって、世に知られるのがこの作品のゴールのような気もする。

この映画を観て改めて気づかされた日本独特の超越的な美術性に感激。そんな美しいものが我々の周りにはたくさんある。あまりに日常と密着していて気づかないが、海外の人が独自に解釈し映像化する。そんな風に教えてくれるというのは映画の素晴らしい側面だろう。

脚本最高-ストーリー詳細と好きなところ色々


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(多少のネタバレあり)
『映画は脚本が全てじゃない』をモットーに「トランスフォーマー」シリーズを全力で愛している私だが、やっぱそこがグダグダだと萎えるよねっていうのが本音。kuboは珍しいプロットではないかもしれないが、全体的にまとまっていて不満な点は目につかなかった。以下、言及すべきと思う点をいくつか書いてゆく。

冒頭でクボが語る物語は、この映画全体の縮小版になっている。母が語ってくれていたその物語は勇敢なサムライが家族の復讐のために戦いを繰り広げるというものだ。しかし彼はいつも物語の最後だけが語れずにいた。母がそうだったように「続きは明日」という形で先延ばしにしていたのだが、幸か不幸か、その悩みも終わりを告げる。そう、クボはまさにその物語の中に投げ出されるのだった。その中に出てくる三つの武具も、怪物も全てが現実に起こる。そうして自分や家族を危機に陥れる祖父、ムーンキングと対峙する…。

-象徴的な背景-

上記の通り”Kubo and the two strings”は何より、脚本がしっかりしていたのが素晴らしかった。起承転結があり、はじめと終わりが対照的に、かつ共通性を持たせてある。伏線なんかもあったりして、「ああ!そう繋がるのね!」なんて驚きも用意されているあたりは秀逸。例えば月。物語は画面いっぱいの満月から始まる。これは、瞬きもせず休む間も無くクボを追うムーンキングの象徴だろう。こうこうと光るその月は、どこにいたってこっちを見ている。その光からは逃げられない。また、クボの印象的なセリフ”If you must blink, do it now”(瞬きするなら、今のうち)や劇中でてくる巨大な目の魔物にも見て取れるように、この作品には「見えるもの」という概念の根源にあるというものを強く描いている。それはつまり結末の部分へと繋がる伏線でもあるのだが、クボの祖父がそうであったように、我々も目で見えるものが全てだと思いがちである。だからこそムーンキングはクボの目を奪おうとした。そうして人間の苦痛や愚かさからの解放を主張したのだ。しかし、クボは、猿やカブトムシとの旅で大切なことに気がついた。目には見えなくとも、たとえ愛する人が死んでしまっていたとしても、故人は思い出としてそれぞれの中に生き続けるという事、目に見えることが全てじゃないんだという事を。そうしてエンディングで大きく映し出されるのは三日月。その笑っているかのような表情は結末にふさわしい穏やかなものに見えた。また、クボの物語の始まりが夕暮れだったのに対し、全てが終わり、クボにも、村にも平穏が訪れるのが夜明け。この映画ではこういった形でキャラクターの心情や、物語の状況を背景を使って描いている。

-抜かりのない設定-

初めて観たときに不思議に思った設定も、改めて見ればあら解決。しっかり矛盾のないよう運ばれていた。というのも、クボたちを導いてくれるのはクボの魔法によって生み出された父の化身、折り紙のハンゾウ。彼が武具への道を、行く先を示してくれるのだが。ある晩、クボの見た夢によって父の城に向かう事を決める。「兜のありかがわかった」とはしゃぐクボになんの疑いもなく付いてゆく猿とカブトムシだが、実はムーンキングの罠だったのだ。当然兜はなく大惨事。初見時はハンゾウの設定があったにもかかわらず、こんな罠にハマるかね?と疑問に思っていたのだが、そんなところまでしっかり処理していたのだ。つまり、クボが夢を見てはしゃぐその瞬間、今までは自走していたハンゾウを鞄の中にぐいっと押し込めていた。しかも、そのハンゾウの示す先を見ると、クボの進行方向とは真逆という徹底ぶり。ある意味これも伏線なわけで、ものすごく感心したワンシーンである。

-「見たい」は逃さない-

またラストバトルは当然、集めた武具でムーンキングと対峙するのだが、観ていると「あれ?大事な魔法忘れてね?」なんて思うわけだ。立派な刀で戦うクボのアクションに魅了され一瞬忘れるのだが、やっぱり観たいのは魔法。それに気がついた時のあの不安感。。。まさかこのまま倒さないよね…?なんて勘ぐるのだ。しかしやっぱり傑作だった素晴らしかった。森に弾き飛ばされ、刀と共に三味線がに転がる。そしてクボが手に取ったのが…そう!三味線!さらに素晴らしいのは、すっかり忘れていたKubo and the Two Stringsという題名のこと。最後の最後でその理由が明らかになるのが堪らなかった。もうここまでネタバレしてるのに今更なんだって感じではあるが、ぜひその訳は本編をご覧になっていただきたい。(いや、だいたい想像つくか…?すいません。まだ大切なことバラしてないんで大丈夫かな?なんて。)

まとめ-お願い、観て…


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「映画は観客が観て初めて完成する」そんな風によくいったりするわけだがまさにその通りだと思う。この作品は日本人が観て、評価してこそ完成するのだ。日本をこれだけフィーチャーしてくれる作品を公開も販売もせずにスルーだなんてあんまりだと言わざるを得ない。特典映像の中で、制作に協力した日本人の日本文化研究者らしき人がこのような事を言っていた。『これだけのディテールを再現してくれるなんて、日本の観客はすごく喜ぶと思う』と。そうさ!喜ぶさ!感激するさ!日本人で、日本に生まれて、本当に良かったと確実に思うさ!それぐらい日本の神秘的な部分だったり、誇りに思う国民性だったり、考え方みたいなものを繊細に、多少美化して描いてくれたのが本作『Kubo and the two strings』なのである。この映画で使われる英語は決して難しくない。なので、英語が嫌いでたまらないという方以外はぜひ一度ご覧になっていただきたいのだ。

最後にストップモーションならではのキャラクターの作り込みをどうぞ。

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1 comment

  1. こんにちは。海外在住のものです。昨日この映画をこちらのケーブルテレビで見て、日本の方の感想が聞きたいと思い、検索してたどり着きました。いわゆるハーフの娘がいるのですが、見ながら「これはかなり正確な描写だよ、あなたのご先祖の半分はこうやって生活していたんだよ。」って半ば感動しながら話していたところで、また、若いころは時代劇をよく見ていたのにここ20年ぐらいまったく見ておらず、そのせいもあってとても懐かしい気持ちになりました。ところで、一つ気になったのですが、おじいさんの服や兜のデザインだけがなぜか中国ぽかったのはなぜなんでしょうか。ああいう感じの服とか兜も日本で使われていた?? 月の文化は中国由来だから?? 私の勘違いだったらすみません。 ともあれ、詳細なレビューをありがとうございました!

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