『アズミ・ハルコは行方不明』新しい自分で劇場を後に。かつての自分は行方不明。

アズミ・ハルコは行方不明

感想・レビュー

[評価]


■脚本:9
■演出:8
■キャスンティング:9
■この映画えらい度:5
■好き度:6
■期待値とのギャップ:5
■総合:7

71

/100

作品情報

アズミハルコは行方不明
2016/日本 上映時間100分

スタッフ
監督:松居大悟
原作:山内マリコ
脚本:瀬戸山美咲
エグゼクティブプロデューサー:大田憲男藤本款

キャスト
蒼井優:安曇春子
高畑充希:木南愛菜
太賀:富樫ユキオ
葉山奨之:三橋学
石崎ひゅーい:曽我雄二

[あらすじ]
2013年に発表された山内マリコの長編小説「アズミ・ハルコは行方不明」を蒼井優主演により映画化。日本中どこにでもありそうな、郊外のある街。この街から独身OLの安曇春子(アズミハルコ)が突然姿を消した。街じゅうに貼られたハルコの行方不明ポスターとともに、彼女のポスターをモチーフにしたグラフィティアートが拡散されていく。ネットでは、男だけを無差別に襲う女子高生ギャング団とハルコポスターのグラフィティアートとの関係性が噂されはじめて……。失踪前と失踪後、ふたつの時間軸を交錯させながら、現代女子の生きざまを描き出す。安曇春子役の蒼井は、「百万円と苦虫女」(08)以来の映画単独主演。監督は「アフロ田中」でデビュー以降、「ワンダフルワールドエンド」「私たちのハァハァ」などを手がけている松居大悟。(以上、映画.comより)

こちらが予告編↓

-コメント-


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田舎の閉塞感みたいなものが根底にあるんだろうが、正直そんなところには目がいかなかった。つまり、都内に住む鑑賞者にも十分共感性のある映画という意味で優れている。しかし、一方で、誰もが日常に飽き飽きしていて娯楽や逃亡を望んでいるのは見逃せない。後述の『スプリング・ブレイカーズ』のワンシーンでもあるように、「この街から逃げ出したい」そんな思いがどの人物の中にもあるのだろうと思う。その田舎感を間接的に感じたのは象徴的に何度も登場する車の運転シーン。オープニングもハンドルのアップから始まるのだが、出てくるどの道も交通量も理想的。自分がドライブしていて好きな道しか出てこない。映画を観終わって無性にドライブがしたくなったのも頷ける。そしてそれはつまり、「田舎の道」という事なんだろうと思う。分かりやすく畑や田んぼ、広い荒野なんかを舞台にするのではなく、こういったちょうどいい郊外感がまたリアルなんだなとジワリ後から感心した。結婚や出産なんてもちろん経験のない男子学生の自分にとっては、罪悪感とかそういったものよりもむしろ自分の恋愛観の女の子らしさに気付かされ、嬉しくも悲しく泣きそうになった映画だった。

-女の苦悩、無能な男-


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まず、この映画では安曇春子と、JKギャング団、さらにはグラフィティーで自分たちを慰める青年二人と男に依存する女がメインに、時系列が交錯しながら物語は進んでゆく。結局、彼女たち女性がいなければ何もできなかったろう男どもの普遍的な姿と、田舎の閉塞感、SNS疲れや歳をとる事への恐怖なんか感じながら生きる女性たちが描かれる。そこには社会的メッセージというほどうるさくなく、コメディーというには惜しすぎる、絶妙なラインでリアルに展開する物語があり観客を徐々に引き込む。

『女性は35過ぎたら終わり』『少子化は結婚しない女のせいだ』『そんな女は税金を無駄にしているんだ』と語る分かりやすいセクハラ上司たち。正直、男のステレオタイプとして描かれるこういうタイプに同性としてはうんざりする一方で、未だ数多くいるこういうオヤジにはとっとと引退してほしいと心から願っているのは女性だけではないことをここで言っておきたい。そうはいっても、劇中のハルコが、『女らしくしたら?』という言葉通り、スカートやヒールを履いて会社に来たのと同様、男だって自身の身を案じることを許してほしい。
なんにしろ、未だこの世界は女性にとって生きづらいのは間違い無いだろう。出産のことを考えれば、男性より結婚に対するリミットを考えるだろうし、仕事や給料だって平均的には低い水準である。そう言った社会的な面での不平等さは否めないのだろう。しかし、わたしは未だ学生で、社会に出てそういった経験を見聞きしたことは一度もないのである。そういう意味ではこの映画を十二分に理解したとは言えないのかもしれない。ただ、彼女たちの恋愛観には無性に共感してしまい、「あぁ、自分ってめんどくさいやつだな」なんて悲しくなったりした。

さて、話を戻して。この映画では女性の圧制のリアルが描かれるが、その一方で彼女たちなしじゃ何もできない男の無能さも描かれる。例えば、ユキオと学。彼女に買ってもらったドキュメンタリー映画に感化され、グラフィティーを始める。JKギャング団に襲われた学を救ったのは愛菜であること。同じくJKギャング団から蘇我を救ったのは春子で、手当の後『セックスでもしますか』と切り出し蘇我を慰めたのも春子。蘇我が自信を持てたのも春子のおかげに違いない。にもかかわらず、彼女たちに与えられたものをあっという間に忘れ身勝手に捨てるのだ。まあ、身勝手に捨てられるのは女性だけじゃないけれどね。こうしたよくあること、かつてより描かれてきたことを、よろ現代的に、よりローカルに作り直したのがこの作品。見ていて、色々なところに共感し嬉しかったり、悲しかったりした。

-時系列バラバラ、集中力は必要かも-


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この映画、オープニングから時系列が分かりにくくなっている。ただ、自分はそういう映画が大好きで…画面の節々のヒント見たいのを探すのが楽しくて仕方ない。とは言っても、この映画に関して覚えておくべきことはたったひとつ。それは「アズミのグラフィティが描かれるのは彼女が失踪した後」この超基本的な事だけを覚えていれば、置いていかれることはない。あとは、時折印象的に映しだされる壁などが、ミッシンググラフィティーを書いたものと同じだと認識できるかどうか。

しかしひとつ、曖昧な部分がる。ラスト付近、トイレットペーパーを買いに行けと言われ車を走らせる春子。この映像はオープニングで流れたものと同じなのである。男に捨てられ、家では母が怒鳴り、自分は家族にとってトイレットペーパーを買いに行くだけの存在。全てに絶望した春子、つまりここが失踪の始まりかと誰もが思うのだ。だがしかし、駐車場で一服した彼女は扉にスプレーで描かれたニコちゃんマークを見て微笑むというシーンが追加される。このニコちゃんマーク、愛菜がハルコのミッシンググラフィティーを書いて町中を走り回っている時にちょろっとガードレールに書いていたものを思い出させる。つまり、失踪の始まりに思えたあのシーンは、失踪の終わりだったのではなかろうか。このシーンを、愛菜が遊園地で見たおそらく幻覚であろう春子のセリフ「幸せになることが一番の復讐」と合わせればそれは、終わりは始まり、そうとも取れるような気がする。つまり、春子も愛菜も男に捨てられ傷心の身。全てが終わったかのように思えるが、その終わりを最高の幸せを迎えることで復讐とする、幸せの始まりでもあるという捉え方をするということだ。だからこそあえてこのシーンを曖昧にして、終わりであり始まりであるというような意図で作られたのでは?と勘ぐっている次第だ。彼女自身はもはや行方不明ではないが、これまでの彼女はもういない。そういう意味では今までの彼女は未だ行方不明であるというわけで、なんだかややこしくなってきたが、事件としての失踪は終わったが、彼女自身が変わったことでこれまでの春子は永遠に行方不明で、もっと素晴らしい彼女が戻ってきたのだ。うーん。伝わりづらいなあ。あとはみなさんにお任せします。ごめんなさい(´∀`*)

-JKギャングと『スプリング・ブレイカーズ』-


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猟奇的に男に復讐する存在がJKギャング団。原作では映画、『スプリング・ブレイカーズ』をみたJK達が男に復讐を始めるという感じらしい。この『スプリング・ブレイカーズ』という映画を見て思ったのは、「なんでもないことにすぐ意味を見出そうとするな」ということ。彼女達のやっていることは少なくともこの映画の中では正義なのかもしれない、自由の象徴なのかもしれない。しかし、『スプリング・ブレイカーズ』で見たのはだった。そこにはなんの意味もないようなことに「ここが私の居場所」とか「人生で一番楽しい」などというフレーズを添えて、無理に生きて行く女学生達が銃を乱射し男どもを殺して行くのだ。社会、権力を掌握する男という存在を倒し、自由を獲得する存在として暴れまわるJKはカッコよくもあるが、ダサくも見えてしまった。彼女達は一体に何に憤慨し、知りもしない男達を痛めつけるのか。「制裁だ」と言い張り行うその愚行は、ユキオや学たちが「何かでっけーことしてー!」と始めたグラフィティーと何が違うのだろうか。無能な男とのそんな共通点を感じさせる女子高生達の暴動は女性が躍起になる若さへの疑問でもあるような気さえした。確かに若いことは素晴らしいかもしれない。なんの迷いもなく、結婚や出産のことでさえ気にならない女子高生は無敵なのかもしれない。しかし、歳を重ね生きてきた春子が彼女達を追って柵を超えなかったように、歳をとることも確実に正解なのだと、そんな風に思った。深読みしすぎて本来のメッセージとは違う受け取り方をしている可能性もあるが、この映画、余白も多い作品なので許してほしい。

-まとめ-


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「何かデッケーコとしてーな!」なんて、誰もが思うわけで、羽目を外したこともあるだろう。恋人にひどい振られ方をしたこともあるだろう。いろんな失敗をして、現状に耐えられなくなって、辛く悲しく生きている人は山ほどいるはずだ。そんな人に、決して優しくはないが同情してくれる、『アズミハルコは行方不明』はそんな作品ではないだろうか。
私は、春子が失踪を決めた一番はじめの理由は「蘇我の気持ちを知りたい」、そんなとこにあると思う。「振られたし、もう彼は私のことなんて好きじゃないのはわかってる、でも、失踪したら心配してくれるかな?」なんて乙女心(?)があったと勝手に妄想してしまう。こういう妄想も兼ねて、多くのことを許してくれる。それでいて、しゃんとしろと言われてるような。鑑賞後、セラピストに色々話して気持ちが楽になったような、そんな気がした(セラピーに通った経験はないが)。
女性であれ、男性であれ、恋や仕事やアレヤコレヤに息苦しさを感じている人は劇場に足を運んでみるといいかもしれない。叱られながら許される、そんな奇妙だけど暖かい作品に出会い、劇場に過去の自分を置き去り、行方不明になったと周りに思わせるぐらい新しい自分で出てくることができるかもしれない。






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